『恋する馬鹿に愛ある阿呆』読み切り掲載

ブログを書いていなかったことに気付きませんでした…。
8/22発売のDaria10月号に『恋する馬鹿に愛ある阿呆』という読み切りを掲載していただいてます!
高校時代に一度関係を持った友達未満の二人のお話、よかったら見てみてください。

この2人、数年前に別作品の脇役として考えていました。そのときは今回の読み切りとは見た目はちょっと違ったんですが、いつか描きたいけど商業だと描くのは難しそうだなぁと思ってたので、今回描かせていただけて本当に感謝しています。元々の桂木(受)は、黒髪短髪の眼鏡でした。川島(攻)はあんまり印象変わらないかな?

恋とは、愛とは、というようなことは、恋愛主軸の漫画を描いている身として色々考えることがありますが、自分が自分の感情を「これは恋だ」と自覚することと、発した言葉や態度・行動から他人が「それは恋だ」と指摘することの差があるような気がしていて。差…?言葉が合ってるかわからん。感情の主導権は誰が握るかということとも被りますが、本人が「これは恋ではない」と言ってる(そのつもりも全くない)、でも周りから見ればそれはもう恋だろと思う、という状況の場合に、それは恋か?という話。
感情の主導権は本人にあると考えると、どういう行動を取っていてもそれは恋ではないだろうけど、ただ単に本人が無自覚だっただけであとで「あれは恋だった」と思うかもしれないし、感情は周りから見て決定すべきだと考えると、周りが「それは恋だろ」と言うならそれは恋なのかもしれないし。
物語の中であれば、それは色々実験出来て面白いなといつも考えています。
恋に限らず周り(もしくは周囲に対する自分)からはそう見える、ということが果たして誰にとっての真実なのか、というのは自分が生きていく上でも常に気を付けていかなくてはいけないなと思います。

世界はいつでも誰かの真実と妄想で成り立ってるのかもしれない。知らんけど。